大学職員のイメージとは、実は今もあまり変わらないのではと思っています。それが例えば別に住んでいる両親といった身内でも、「大学職員は、夕方には帰れて、休みはたくさんあるのでしょ?あと安定職だからいいよね」というイメージを未だに言われます・・・。一緒に住んでいれば、土日出勤が多かったり、時期によってはかなり仕事量があることが分かるのですが、離れていれば旧来の大学職員のイメージはなかなか変わらないのかなと思います。
特に安定職というイメージは、ずーっと変わらず。
実際は、大学が生き残るにはどうしたらいいかと常に考え奮闘されている職員は大勢いらっしゃいます。また、大学職員として生き残っていくにはどうしたらいいかも考えて常に自己研鑽されている方もいらっしゃいます。そこで今回は「大学マネジメント 6月号」にから、伊東氏が「米国のノン・アカデミックスタッフ」の本文で触れている「Professional Development」をまず紹介したいと思います。
伊東氏は、以下のように述べています。
アメリカ大学において在職中の専門性の高め方として「アメリカの場合、個人が自分の(能力や技術も含めた)専門性を高めるために、様々な研修を自分で調べ、申込、参加する」
上記のことを「Professional Development(以下、PD)」と言い、アメリカでは給料等をあげるには昇格や転職等が有効手段ですので、主体的にPDを実践しているようです。
日本は、専任職員であれば、例えば年齢給や職能給は上がることが多いですし、アメリカの雇用体系とは異なります。しかし以前、本ブログでも述べたように、今の大学情勢の中では、「価値ある職員」となることが必要です。
※参考 大学職員とキャリアから専門性を考える - 大学アドミニストレーターを目指す大学職員のブログ
価値ある職員とはも、同じブログ記事で述べましたが、私見として職員の基礎能力に加え+α(例えば経営、教学、財務、広報、IR、研究支援など)が必要であると思っております。
(※笑い話で、「αは課長や部長ができます」というのがありますが、それは専門性ではないと考えます)
このαこそ、PDという概念が当てはまるかと思います。もちろん職員の基礎能力は土台ですので、ないがしろにするわけではありません。職員の基礎能力はSDや業務で培い、+αについては業務やPDで養うことが必要ではないかと思います。
SD | 受動的な面もある | 内部や外部の リソースを利用 |
組織に属する職員として必要な能力を養成する。 |
PD | 主体的 | 自らが外部等の リソースを利用 |
個々の専門性を発見し、高める。 |
※SDの議論は様々ですので、私が考えるSDとしては上記の様にしております。
ただSDは講演等だけで終わらせず、個々が勉強しようと喚起させる側面も必要かと思います。
アメリカと日本は違う!と言われる人もいますが、大学が淘汰されるという状況は変わりません。PDの目的はアメリカでは昇給等ですが、日本では職員として生き残っていくために必要かと思います。
(その為には、様々な情報収集が必要ですが、ASAGAOメーリングリストやGoogleアラートなど様々な方法があります。大学に研修案内が来ていても、どこかで回覧がとまってしまっているや握りつぶされているなんてよくある話ですし。)
<参考>