大学の最低限の基準の省令である大学設置基準があり、令和4年度に大きな改正があります。
9月7日の中央教育審議会大学分科会(第169回)にて、大学設置基準の諮問がなされ、答申→令和4年10月1日から施行となります。
今回の改正は大学設置基準大綱化に次ぐ大きな変更ですので、各大学は一部対応が必要でしょう。(改正内容は下記の記事をご覧ください。)
今回は、大学側の自由度が増したというのが全体の印象であり、性善説によるのであれば、「学修者本位の大学教育の実現」の観点から、教学マネジメントが適切に実施され、内部質保証が機能している中で教育が実施されている中で、大学側は教育研究の質を高めながら、大学の運営ができるでしょう。
ただ、大学によっては大学設置基準を恣意的に解釈することもあります。例えば今は解散したある大学では、遠隔授業の60単位の活用、単位制度の捉え方が独自であり、それを活用した教育を実施していましたが、認証評価機関に指摘され、抗議文を大学のホームページに掲載するといったことが過去にありました。
さて、今回はこの大学設置基準の改正について悪意をもって捉えるとどうなるかをほぼ100%の妄想で書いてみたいと思います。本記事は、それを推進するものではなく、むしろ内部質保証や大学評価の担当者、あるいは認証評価等できちんと確認いただきたいという趣旨で書くものです。
なお、こういうことをいうコンサルがいたら、経営的観点は正しいかもしれないが、教育研究の観点からは非常に怪しいと思ってください。
教育研究実施組織等について
今回の改正では、教員組織から教育研究実施組織となります。教員と職員が一体的になることが示されていますが、職員が教員を押しのけて組織に加わること、教員の力を削ぐといったことがあり得ます。一方で、教員の仕事を職員に押し付けるといったこともあるかもしれません。
(国立大学と私立大学では、このあたりは違っているように感じます。例えば教学マネジメントや大学評価だと、「国立大学の先生はそこまでやるのか、それは職員でできますよね」といったことをいつも感じます。)
基幹教員の取り扱いについて
本来は企業などとの実務家教員や他大学とのクロスアポイントメントが想定されていますが、要は教員数を減らすために使うことが可能です。
例えば非常勤を基幹教員として、なんちゃって教育課程に責任をもつ組織をつくり、そこの参加義務も追加する。そうすると専任教員を減らしても、非常勤教員を基幹教員として、大学設置基準上の教員数を維持することはできます。
また複数学部を持つのであれば、学内の複数の学部、あるいは研究所やセンターの先生を「専ら当該大学の教育研究に従事する教員」以外の基幹教員して換算することも可能かもしれません。
資格課程(特に教職)なども、学部間あるいは大学間で融通できるかもしれません。そのためにはどこかが人材バンクなどを作りそうです。
もし上記のことをやるのであれば、運営業務や会議の見直し、アカデミックアドバイザーなどの専門職の導入なども合わせて検討するべきです。
また基幹教員はDPと関連ある科目のみですので、カリキュラムにあるすべての科目はDPと無理やり対応させろといった指示が飛ぶかもしれません。
ここについては、大学としての教員に関する各種方針、人事計画、現状の教員の持ちコマ数、教学マネジメント体制などからその是非を判断していく必要があるでしょう。
指導補助者の活用について
今回の改正でTAなども授業に参画できます。十分な教育効果を上げることができればという条件ですが、適当な研修と先生に指導計画を作らせて、大学院生をどんどんTAにして、授業の一部を持たせればいいのです。基準では一部となっていますが、一部はどれぐらいか決まっていないので、こちらの裁量でできます。
そうすれば、基幹教員に科目を沢山持たせて、超コマ手当を払っても経営的には助かるかもしれません。
(教員からそう申し出るケース、TAに授業をほとんどやるからよろしくみたいなケースもあるかもしれません)
単位の計算方法について
1単位に必要な授業時間数について、様々な授業方法を柔軟に組み合わせた授業科目の設定も可能になります。今までは実験・実習、実技など、例えばスポーツ科目などは実技で週1コマは1単位(授業内30時間、授業外15時間)でしたが、これを2単位とすることも可能です。
校地、校舎等の施設について
必要に応じ、設けるので、必要性がなければいいのです。
終わり
あまりえぐいことはここには書けませんでしたが、ここまで書いたように教育研究の質を高めるではなくて、経営的観点から大学設置基準を準用しよう、あるいは教職学の負担なんてどうでもいいからとこの設置基準を活用した場合、いろんなことが出来てしまいます。
大学の質保証の文脈だと、自らの質を保証する内部質保証、外部からの評価である機関別認証評価などでしっかり見ていく(チェックしていく)しかありません