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SDへの過度な期待と諸条件

 最近、SDは何をやればいいかといった話は自分の周りでは聞こえなくなってきて、各大学では徐々に「SD義務化だ!やらないといけない!」という熱は下がってきたのではないかと思っている。

 ただSD義務化に対し、「成果なんて出ていないのではないか」といった声が実はあるのではないかと懸念している。だがちょっと考えて欲しいと思うのは、SDをやったといってもどのぐらいやったのだろうか。講演数十分聞くのをSDとし成果が出ていないと言っていないだろうか。

 そもそもSDで一回完結型のSD、しかも講演のみでSDの成果とは何を指すのだろうか?知識を習得した事なのか?参加者が持っている課題を解決するための糸口の発見か?それとも課題を解決してしまう魔法のような研修なのだろうか。

 SDを企画する際に考えるのは、大学として理解して欲しいことは何かや課題は何かという事は発端になりやすいと思う。だが課題解決を目的としたSDの場合は、全員が同じ課題を共有してならなければならないし、そもそも課題が課題である事を認識していなければならない事は不可欠である。

 つまり「課題を解決する内容」のSDをする前に「課題を知り、共通理解を持つ、課題であると認識する」機会を持たなければならないと思う。例えば、SDの前に事前学習として課題が出されたり、SDをシリーズ化して行うなどといった事も考えられる。ただ後者は、経験年数・役職・経験してきた仕事・問題意識などによって、課題を知ることや理解する事へのアプローチ方法や必要時間が異なることは留意すべきであると思う。そうすると階層別研修を効果的に使うのもいいかもしれない。

 ただ階層別研修は、役職や経験年数で区切ることが一般的であるが、大学に様々な部署が置かれるようになった今は単に階層別研修をしていいのかといった疑念は拭えない。(階層別研修は一定の経験年数を重ねれば、もしくは役職があれば、一定の知識理解や能力がある事が前提でないといけないと思うのだが、必ずしもそうではないと感じている。なお、階層別研修でもメンタル面とかキャリア面とかを主眼に置いたものは別の話)

 ではSDをどう考えればいいのか?SDの目的として課題解決か、知識修得か、状況把握か、それともパフォーマンスなのか、対象として全体でやるのか一定の知識や能力を持った人に対してやるのか、ツールとして集合型かLMS等を使うのかといった点も踏まえて考えていく必要があるだろうと思う。